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何となく懐かしい、それでいてこれが正しいような気がした。
マッチを箱から出して、擦る。
マッチがだらしなかったら、折れてしまう。
湿気ていたら、火が点かない。
うまく火が点くかどうかは、擦ってみるまで判らない。
その緊張感のあとに、仄かに暖かい灯りがともり、その火を消さないように注意しながら、まるで大事なものを包み込むかのように手で炎を包みながら、煙草に火を点ける。
忘れていた感覚。
百円ライターでは味わえない、手作業感。
煙草を吸うという行為が、儀式であることを思い出させてくれる行為。
まるでそれは、フルマニュアルのフィルムカメラで写真を撮る感覚に似ている。
親指の腹で冷たい金属の巻き上げレバーを、独特の儀式ぶった仕草でゆっくりと動かす。
フィルムが巻き上がる確かな手ごたえが、皮膚に伝わってくる。
カメラを構えてピントを合わせる。
それも慎重に。
露光計をにらみながら、シャッタースピードと絞りを決める。
もちろん、写真のイメージを思い浮かべながら、ボケ具合を計算しつつ。
露光がマッチしたことを確認しながら、息を詰めるように、シャッターを冷静に押す。
機械式シャッターの乾いた音と共に、ミラーが弾けるように動く感覚が、カメラを構える両手に満足感を与える。
実際のところ、その行為が味わいたいがために写真を撮っているといっても、過言ではないだろう。
手作業の感覚と、一瞬を切り取る緊張感。
それで写真が素晴らしければ、言うことはない。
ただし、その写真を撮るという行為を味わわなければ、僕にとっては写真を撮るという行為は無味乾燥なものになるかもしれない。
人を撮影するのが一番好きなのは、実はそのあたりに理由があるのかもしれない。
その人の一瞬を切り取る。
その人の時間を、無遠慮に固定する。
どれだけ時間が過ぎ去っても、永遠に変わることのないその人の笑顔を固定する。
カメラを操作する手作業感と相まって、シャッターを押す瞬間に、その緊張は最高潮に達する。
煙草も同様なような気がする。
実をいうと、煙草の味などどうでもいいのだ。
マッチで火をつける緊張感。
マッチの暖かい灯りを、手で包み込みながら、消えないように守りながら煙草に火を点ける。
火が点いたのを確かめながら、マッチの燐が燃えた匂いを嗅ぎながら、煙草を吸いこむ。
それで儀式は完了する。
あとは、惰性で流れてゆく。
それと同じような感覚を味わえるライターが実は存在する。
ジッポだ。
ジッポは蓋を開ける瞬間から、儀式は始まっている。
親指で弾くように蓋をあけて、それに続く一連の動作でフリントを擦る。
独特の音と共に、暖かい火が周囲を照らす。
ジッポ使いにしか判らない独特の流儀で咥えたタバコを、揺らめく炎に近づけて火を点ける。
オイルが燃える匂いが鼻をくすぐるのを感じつつ、深くタバコの煙を吸い込む。
それで、儀式は完了する。
あとは、余韻を味わうがために、煙草を吸い続ける。
なんとなく、そんな気がする。
理解してくれる人は、いるかな? :)
iPhone の CM の第四段だそうです。
こんなのもありました。
Apple 正規の CM なのかどうか、良く判りませんが、とりあえず、良く出来ています。
同じような CM なのですが、珍しく(?)電話機能に着目した広告です。
最後はパロディ。
なかなか笑えます。
オチが良いですね。 :)
病院に向かう道を、花を探しながらのんびりと歩いていたら、小学生たちが「サルだ、サルだ」と騒いでいました。
「人に向かってサルとは、なんて失礼な子供たちだ」
とは、もちろん思いませんでしたが、彼らは興奮したかのように「サルだ、サルだ」と騒ぎつづけます。
ふと、道の反対側に目を向けてみると、あるマンションの玄関の庇に、サルが乗っていました。
メスのニホンザルでした。
植え込みの若葉か芽を食べているのでしょうか?
葉っぱらしき部分をちぎっては、口に運んでいました。
しかし、本当に真っ赤なんですね、サルのお尻。
毛並みも、なかなか綺麗でした。
山から下りてきた野生のサルなのか?
それとも、飼われていたのが逃げてきたのか?
六甲山に野生のサルが生息しているという話を、私は聞いたことがありませんが、ひょっとしたら生息しているのかも知れませんね。
あるいは、箕面あたりからはるばるやってきたのかな?
イノシシには慣れっこなのですが、サルには驚きました。
一匹で行動しているのか、群れから一時的にはぐれただけなのか?
どうやら、神戸にはまだまだ自然が残っているようですね(違うか、笑)。
発見場所はこちら。
・Google Maps : A monkey in Nada, Kobe Japan(別窓)
このサル、写真を撮ろうと近付いた私を威嚇して、民家の門扉を越えて塀を歩いた後、何処かへと姿を消しました。
できれば、サルには居付いて欲しくないですね。
イノシシで充分です。 :)
追記:
先程、ベランダに出たら、眼下をウリボウを連れたイノシシのお母さんが闊歩していました。
ウリボウは五匹。
やはり、自然が多く残っているようです(違うって)。
山の中では食料を調達できないのかなぁ…。
注:神村的日常の転載です。
鮮度が落ちないうちに、Vox に転載しました(笑)。
『ブラッド・ダイアモンドの真実』というテレビ番組を見ました。
ケーブルテレビに「ヒストリーチャンネル」という歴史番組専門チャンネルがあります。
- ヒストリーチャンネル(別窓)
この「ヒストリーチャンネル」、ドキュメンタリー系の強豪である「ディスカバリーチャンネル」や「ナショジオチャンネル」に挟まれて、ちょっと目立たない存在なんだけど、NHK の人気番組を再放送してくれたりする、なかなか渋いチャンネルなのです。
その「ヒストリーチャンネル」では、最新映画とタイアップした番組をしばしば放映するみたいで、「”ナンチャラ・カンチャラ”の真実」と銘打った番組を、時折、タイムテーブルで見つけることがあります。
さてさて、アフリカの紛争ダイヤを扱った映画『ブラッド・ダイアモンド』が昨日公開されましたね。
監督は『ラスト・サムライ』のエドワード・ズウィック監督だそうです。
ナショナル・ジオグラフィックの記事でアフリカの紛争ダイアがしばしば取上げられていたので、この映画には少し興味を抱いていました。
興味を持っていると、繋がるのでしょうか?
昨晩、というよりも、つい数時間前の事なのですが、ケーブルテレビの番組表を冷やかしていた所、『ブラッド・ダイアモンドの真実』という番組を見つけました。
放送は21:00から2時間。
「二時間も見れるかな。それに、相当ショッキングな映像が出てくるやろな。ちょっとイヤかもな」
と思ったのですが、紛争ダイヤが悲惨な労働環境で生産されるという事以外、私はこの問題を深く知りませんでしたので、家族が寝静まった午後九時に、私はテレビの前に座りました。
大抵のドキュメンタリー映像は見慣れているつもりでしたが、この番組で語られる「真実」は、あまりにもショッキングでした。
ここに詳しく書きたくないほど、非道な、むごたらしい惨禍が語られていました。
まるで、ナチス・ドイツによるホロコーストとクメール・ルージュによる大虐殺とオウム真理教その他の狂信的宗教やアル・カイダの引き起こした狂気とソビエトの強制収容所と中国の文化大革命と北朝鮮の閉塞的状況と、とどめにアメリカが引き起こしたイラクの泥沼を混ぜ合わせて、煮詰めて、培養して増殖させたような、悲惨で恐ろしい話でした。
子供には決して見せたくない映像が次々に現れ、その酷さは「吐き気を催す」という表現が大袈裟でないほど。
「人間はそこまで残酷になれるのか?」
悲惨な映像から極力目を逸らしながら、結局、最後まで見たのですが、見終わった後の感想は、かなり複雑です。
「なぜ、そこまで残酷になれるのか?」
紛争の被害者、加害者、紛争ダイアの問題を告発した NGO の活動家やジャーナリスト、そしてダイアモンド市場に強力な支配力を持つデ・ビアス社の広報担当者の証言を交えながら、番組は進んでいくのですが、「そんな事が起きていたなんて、しかも国際社会がそれに殆ど無関心だったなんて、信じ難い」という当初の驚きは、番組の進行と共に苛立ちに転化してゆきます。
そして「憎しみや敵意を抱くのは良くないことだ」と判っていても、反政府ゲリラの指導者と、それを支援した当時のリベリアの指導者には、殺意に近い敵意すら感じてしまいます。
それほどひどい話でした。
人間の心の中には、天使と悪魔が同居しているのかも知れません。
普段は理性に抑えられている「悪魔」を人々の心から解き放ち、それに力を与えるような指導者が存在したから、悲惨な悪夢が延々と繰り広げられたのではないだろうか。
ダイアモンドが悪いとは思いません。
ダイアモンドを利用しようとした人間の心が、恐ろしい惨劇を招いたのでしょう。
まとまらない感想を無理やりまとめると、こんな感じになります。
映画『ブラッド・ダイアモンド』がどこまでその「真実」を描いているかは不明ですが、かなり気になるところですね。
注:
この小品は、昨日投稿した「神村的日常」の記事の転載です。
準備万端を整えたプレゼンテーションを済ませた後は、いつも気分が良い。
クライアントのトップから熱い興奮を引き出せたとなれば、なおさらの事だ。
私は満ち足りた達成感を胸に、得意先の東京本社を後にした。
気分が良いと空気も旨い。
清々しい満足感を胸に湛えていると、不思議と街の空気も澄んで見える。
いや、どうやら実際に、この街の空気は濁ってはいないようだ。
それどころか、あの目障りな吸殻さえ、路上には一つも落ちてはいない。
駅へ向かう道を歩きながら、私は満足感と達成感が神経の緊張をほぐしてゆく快感を味わっていた。
それと同時に、その快感には欠かせないある物を、私の神経は要求していた。
右手が胸ポケットの辺りを彷徨う。
しかし、歩道を行過ぎる人も、私の前を歩く人も、誰も紫煙を燻らせてはいない。
どうやら、この街では路上禁煙が行き届いているらしい。
私の行く手に、一際目立つ蛍光色のベストを羽織った初老の男性が、ノボリを片手に立っていた。
白地のノボリには、緑の字で大きく「路上喫煙を追放しよう」とある。
刺激的なスローガンだと思いながら、私は彼に訊ねた。
「この街では、どこでタバコを吸ったらいいのですか」
彼は一瞬、面食らったような表情を見せた。
「ちょっと、この辺には無いねぇ」
何故だろうか、彼は少し申し訳無さそうな口調だ。
「そうですか」
「ちょっと歩いてもらったら、無いことは無いけどね」
「随分、遠いのですか」
「まぁね。この街にはそこしかないからね」
「そうですか」
「そこの角を右に曲がって、◆◆書店の角を曲がったら、すぐに判るよ」
「◆◆書店の角を曲がって、すぐなのですか」
「いや、まだそこからちょっと歩くけどね。でも本屋の角を曲がったら、すぐに判るよ」
今度は不思議な笑みを浮かべる初老の男性に、私は礼を言った。そして教えられた「その街で喫煙可能な唯一の場所」へと向かった。
私の脳内で溶け始めた緊張は、ニコチンによる中和を求めていた。
クライアントの本社ビルに足を踏み込んだ瞬間から、長時間に及んだプレゼンテーション、そして詳細を詰めるための担当者との綿密な打ち合わせを終えるまで、私は煙草を咥えすらしなかった。
脳内のニコチン濃度は、脳の底辺で蠢く苛立ちを覚えさせるほど、危険なレベルにまで低下しているらしい。
大きな仕事を済ませた後の解放感が、私の神経を縛り付けていた鎖を解きほぐしてしまったのも、ニコチン不足の苛立ちに力を与えた大きな要因なのだろう。
苛立ちは鋭い爪をもって私の脳細胞を激しく引っ掻き始め、毛羽立ち始めた神経を逆撫でした。
自然と私は早足になった。
きっと煙草に火を点けた瞬間、待ちかねていたニコチンの奔流に、私は軽い目眩を起こすことだろう。
はやる気持ちを押さえ込みながら、私は大きな本屋の角を曲がった。
その瞬間、私は初老の男性が浮かべた不思議な笑みの意味を理解していた。
二ブロック先の歩道の一角から、灰色の濃い煙が煙幕のように立ち上っていた。
まるで閑静な住宅地にいきなり出現した、高度成長期のコンビナートの煙突のようだ。
煙の噴出口の近くには、所在なげに男たちがたむろしている。
「その街で唯一、喫煙可能な場所」の異様な雰囲気に気おされながらも、私の足は自然とそこへ向かっていた。
心の中では「禁煙するかな」と呟きながら。
背景:
先日、東京を訪れた際の体験が下敷きになっています。
街の空気が綺麗な事と、路上に捨てられた吸殻が殆ど目に付かない事に、正直、驚きました。
路上禁煙が徹底されているのだなぁ、と感心した次第。
良いことだと思います。
この点、関西はまだまだですね。
ただ頂けなかったのが、喫煙所の風情。
文字通り、煙が渦巻いていました。
街中の喫煙者が集まっている訳ですから、まぁそれもやむを得ないのですが。
喫煙所で煙草を吸いながら(現時点では、私は喫煙者です)、「なんか嫌な感じだなぁ」と思っていました。
私が訪れた喫煙所は駅前の「路上」の片隅でした。
街の他の場所はすっかり空気が良くなって「良い感じ」なのですが、その一角だけはまるでゴミ捨て場のように、煙が濃集している雰囲気でした。
「煙草は悪いもんだから、当たり前じゃん」と言われれば、それまでなのですが、もう一工夫欲しいところですね。
あれでは、その付近を歩く非喫煙者も迷惑でしょう。
文句を言うばかりではアレなので、私が思う改善策を列挙してみましょう。
- 煙が周囲に拡散しないように喫煙所はガラスで区切る。天井は開放する。
- 入口にはエア・カーテンを設置して、外部への煙の流出を防ぐ。
- 上部には強力なファンを設置して、地面から上へ向かう空気の流れを作る。それにより、煙が滞留しないようにする。
- 僅かな数の喫煙所を駅前に設けるよりも、少し離れた場所でそれなりの箇所数を確保する。それにより、煙害の一極集中を防ぐ。
煙草を一箱あたり十円、さらに値上げしてはどうでしょう(冗談ですよ)。
まぁ、さっさと禁煙するのが、個人的には最上の策なのですけどね(苦笑)。
注:
この小品は、本日投稿した「神村的日常」の転載で、以前 mixi 日記に載せたものと寸分変りません。
mixi で読まれた方には申し訳ないのですが、投稿が随分空いてしまったので、再利用です(笑)。
「・・・、じゃぁ、あとはまた会った時に。急ぎの用件があったら、メールでも送ってくれ」
「おいおい。なんだよ。久々に電話を掛けてきておいて、もうおしまいか。忙しいのか」
「いや、忙しくはないんやけどな」
「トイレでも、切羽詰ってるんか?」
「いや、ちがうよ」
「どうした?」
「ホワイトプランにしてん。俺」
オチの説明:
ホワイトプランは他のキャリアとの通話料が割高、という背景です。
それを気にし始めると、携帯電話黎明期のように、用件を手短にするのかも?というわけです。
情報公開:
私はソフトバンクユーザーで、ホワイトプランに加入しています。
でも、こういう事はきっと無いと思いますので、ご安心を(笑)。