外国に出て土地の人と話をすると、「宗教はなに?」と聞かれることが珍しくない。
アルジェリアでも、ちょっと話をして親しくなるとそう聞かれた。
答えは「Buddist」以外には考えられない。
宗教上の議論は禁物なので、当たり障りのない答が良いわけだ。
さてさて、ここウガンダでも宗教を聞かれるんだけど、ここで聞かれるのは
「おまえ、ムスリムだろう」という質問。
「なんでやねん」
どうやら、アラブ人と比較的近い肌の色をしているから、「ムスリム」と思われるらしい。
顔つきはアラブ人とは全く違うのであるが。
「ムスリムではない」とやや語気を強くして言うのだが、この国にもムスリムが10%程度いるので、ムスリムの悪口は禁物。
ただ、国民の多くはキリスト教徒らしく、クリスマスはみんなにとって、とても大切な日だそうだ。
クリスマスの木という、南国でしか咲いていないであろう木もある。
こちらは後日、Flickrにアップする予定。
なんせ、回線が細いから、写真をアップするのが大変だったりする。
土地の人と話をすると、みな一様に日本に行きたがる。
なんでも、日本に行って掃除人夫の仕事に就いて働いただけで、ウガンダに帰るとずいぶんとお金持ちになるそうだ。
いろんな話を聞くにつけ、なかなか複雑な気分になるが、この辺は後日。
磨き上げられた一枚もののオークの、鈍い艶が年期を物語るカウンターに、飲みほしたグラスを静かに置く。
「いこか?」
「そうですね」
「これで足りるかい?」
私は静かに、10,000と記された札を札入れから取り出し、傍らの後輩に渡した。
「十分です」
私たちは釣銭を受け取ることもなく、静かに席を立った。
一杯ずつ飲んだだけだが、釣りがいくらあろうとも、チップにすればいい。
夜半を過ぎて、暑気をすっかり失った熱帯の夜の空気が、程よく酔った私たちの肌を冷ます。
充実した一日だった。
明日も、爽快に仕事をやり遂げることだろう・・・。
なーんて。
10,000ウガンダシリングは、だいたい500円ぐらいなんだよね~。
この国にいると、金銭感覚がマヒする。
最高紙幣の金額は、50,000シリング。
約、2,500円ぐらい。
一万とか二万とかの紙幣を払うたびに、ちょっとたくさん払った気になるんだけど、実はそれほど高くなかったりする。
でもまぁ、物価はそれほど安くないんだよね。
ウガンダは。
PS:
最近、GoogleReader が、「読み込み中」で止まってしまっている。
かたや、無料でビデオチャットが使用可能になったG-talkと、無料ビデオ通話を提供してきた
Skypeとの比較が気になるところ。
だれか、レポートしてくれいないかな?
かすみつつある視界の片隅にぼやける薔薇の向こうで、微笑みかける色褪せた夏の記憶。
PS:
私の違う一面を記すブログを始めました。
・Working Dad Oversea
投稿頻度はこちらのブログの方が格段に多いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
ではでは。 :)
この季節、テラス席やビアガーデンでの食事が楽しい時期ですね。どこかお気に入りのお店があったら教えてください。
テラス席でないけど、こちらなんかどうかな?
1)ワインを飲みながら魚を楽しめるお店。
エビが絶品。
ご予算:ディナー・5,000ディナール~
潮風が心地いい洒落た庭で酔いを覚まして、親密な会話などいかがでしょう?
(注:イスラム教の女性と親密な関係になったら、お父さんから面会を求められる可能性が極めて高いです。拒絶した場合、アルジェリアには二度と入国できなくなる可能性が高いです。
結婚を本気で考える場合は以下の点にご留意ください。
・イスラム教への改宗が義務付けられる。
・アルジェリアに14年間ほど、居住することが求められる。)
2)Sardine 炭焼き
Sardine(イワシ)の炭焼きグリルが楽しめるお店。
ツナの切り身やアマダイらしき小魚のグリルも楽しめる。
庶民的でリーズナブルなお値段。
ビールで一杯と行きたいところだが、酒類はない。
ご予算:ランチ・200~400ディナール
ディナー:日本人の夜間外出は禁止されております。
「旅の恥はかき捨て」
だそうだ。
まぁ、特に異論はないが、まぁ、むやみに恥をかくものでもないかな。
ここで、
「人生は長い旅程のようなものだ」
という比喩を持ち出してくると、この二つの諺から以下の発想を導けるかも?
「人生の恥はかき捨て」
んんん?
いくらでも恥をかける?
まぁ、恥ずかしいことを積極的にしようという意味ではもちろんないのだけれど、ある年齢に達すると人に物事を尋ねることを、恥ずかしいと感じる人もいるようだ。
判らないことを人に訊くのは、幾つになっても恥ずかしいことではなく、むしろ必要なことのように思える。
まぁ「判らないことが、判らない」という状態だと、聞きようもないんだけども。
と、ここまで書いて、今回のテーマを端的に表したことわざを思い出した。
「聞くは一時の恥」
なーんだ。わざわざ投稿を書くまでもなかったなぁ…。
写真は旅先のアルジェリアの春の様子。
日本の春に似ていますが、花の種類が少なくてもうひとつ、というところでしょうか。
ではでは~。 :)
何となく懐かしい、それでいてこれが正しいような気がした。
マッチを箱から出して、擦る。
マッチがだらしなかったら、折れてしまう。
湿気ていたら、火が点かない。
うまく火が点くかどうかは、擦ってみるまで判らない。
その緊張感のあとに、仄かに暖かい灯りがともり、その火を消さないように注意しながら、まるで大事なものを包み込むかのように手で炎を包みながら、煙草に火を点ける。
忘れていた感覚。
百円ライターでは味わえない、手作業感。
煙草を吸うという行為が、儀式であることを思い出させてくれる行為。
まるでそれは、フルマニュアルのフィルムカメラで写真を撮る感覚に似ている。
親指の腹で冷たい金属の巻き上げレバーを、独特の儀式ぶった仕草でゆっくりと動かす。
フィルムが巻き上がる確かな手ごたえが、皮膚に伝わってくる。
カメラを構えてピントを合わせる。
それも慎重に。
露光計をにらみながら、シャッタースピードと絞りを決める。
もちろん、写真のイメージを思い浮かべながら、ボケ具合を計算しつつ。
露光がマッチしたことを確認しながら、息を詰めるように、シャッターを冷静に押す。
機械式シャッターの乾いた音と共に、ミラーが弾けるように動く感覚が、カメラを構える両手に満足感を与える。
実際のところ、その行為が味わいたいがために写真を撮っているといっても、過言ではないだろう。
手作業の感覚と、一瞬を切り取る緊張感。
それで写真が素晴らしければ、言うことはない。
ただし、その写真を撮るという行為を味わわなければ、僕にとっては写真を撮るという行為は無味乾燥なものになるかもしれない。
人を撮影するのが一番好きなのは、実はそのあたりに理由があるのかもしれない。
その人の一瞬を切り取る。
その人の時間を、無遠慮に固定する。
どれだけ時間が過ぎ去っても、永遠に変わることのないその人の笑顔を固定する。
カメラを操作する手作業感と相まって、シャッターを押す瞬間に、その緊張は最高潮に達する。
煙草も同様なような気がする。
実をいうと、煙草の味などどうでもいいのだ。
マッチで火をつける緊張感。
マッチの暖かい灯りを、手で包み込みながら、消えないように守りながら煙草に火を点ける。
火が点いたのを確かめながら、マッチの燐が燃えた匂いを嗅ぎながら、煙草を吸いこむ。
それで儀式は完了する。
あとは、惰性で流れてゆく。
それと同じような感覚を味わえるライターが実は存在する。
ジッポだ。
ジッポは蓋を開ける瞬間から、儀式は始まっている。
親指で弾くように蓋をあけて、それに続く一連の動作でフリントを擦る。
独特の音と共に、暖かい火が周囲を照らす。
ジッポ使いにしか判らない独特の流儀で咥えたタバコを、揺らめく炎に近づけて火を点ける。
オイルが燃える匂いが鼻をくすぐるのを感じつつ、深くタバコの煙を吸い込む。
それで、儀式は完了する。
あとは、余韻を味わうがために、煙草を吸い続ける。
なんとなく、そんな気がする。
理解してくれる人は、いるかな? :)
うぃす亭さま、ご無沙汰でーす。まぁ、Bu... read more
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